最近、自分探しをしています。
少々恥ずかしいですが、自分探しって言葉がぴったりだなと思っています。
若い頃にも、どんな自分になりたいのか、何をしたいのかが分からなくて、遠い未来のどこかにいる自分を探しているってがありました。もしかしたら、その続きを今もやっているのかもしれません。大きな枠組みからいえば、おんなじ自分探しです。
未来ではなく、本来の自分探し
でも、私の中ではかつての自分探しとは全然違っていて、自分の中に確かにいるけれど隠れているもしくは、認識できていない自分を探している感じです。
遠い過去から今日までの確かにいる自分です。
そのためには内面に向かう必要があって、子供の頃好きだったこと、逆にどうしても嫌だったことを書きだしてみました。
私の場合、子どもの頃から好きだったことは、歌うこと。幼稚園の頃から大きな声で講堂で歌っていたらしい。結婚前まではバンドをするなどやっぱり歌が好き!それから、憧れているのは、職人さんや芸術家や研究者で、何かに夢中、それに情熱を燃やしている姿は心を打たれる。自分のそうなってみたいと思っている。
嫌いなことや苦手なことは、絶対的な権力(笑)。なんだそれは、という感じだけど、例えば、組織として決まったから理由も説明もなくただ、やりなさいと言われる感じです。子供に対してこれをやっていないか、ひやひやしている自分もいる。
そして、自分に向き合うことは、ちょっと苦しいこともあります。
だって理想としていた素敵な大人にはなっていないのだから。
理想の私はというと、
仕事もバリバリやっていて、家事もなんなくこなし、子供には優しく、叱ったあとはぎゅっと抱きしめる。そして、かわいいスペシャルワーママになりたかったのです。
ですが、現在は体調不良にて休職中。家事も体調次第では手つかずのこともあり、お昼はインスタントの麺類で済ませ、晩御飯だけなんとか形になる程度つくり、子供には「早くして」が口癖。すぐに、条件付きで何かをさせてしまいます。
それにしても理想とかけ離れているではないか、がっかり。
役割を演じること
性格の面でも、私ってこんなに偏屈でわがままだったのか、と思うことが多い。でも、それを表面上隠して良い感じの人を演じてきた部分もあります。それがその時の私の役割だと認識していたからです。職場でことを荒立てて良いことはそんなにありません。穏便にってやつです。
役割を演じることはある意味大事で、本当の自分と向き合わずその場で必要な役をこなすことが出来るので、心はそんなに苦しみません。必要なツールだと今も思っています。それがあれば自分は大丈夫だと思っていました。
だけど、体調不良(適応障害になったこともきっかけの一つ)もあり、役割を演じることで楽になれたり、違う自分を発揮できたりするときもあるけれど、そろそろ素の自分で過ごしていいよってオッケーサインを出してあげたいと思ったのです。
今の自分に合った出来ること
自分の体調にあった仕事をすること。
家事もできないところは、そろそろ子どもたちにも本格的に手伝ってもらおう。
子どもたちも、一人の人間。ちゃんとしてほしいと思うけど、私も夫ももちろん完璧ではない。ならば、最低限できるようになったらお互いに許しあえる関係が本当は理想なのではないか。
家族との接し方も変えてみよう。そのためにはやっぱり余裕が必要だ。
自分にしかできないことなんてないと思っています。
だけど、自分と全く同じ人生を生きている人もいないと思いました。
だから、私がやってきたことや出来ることが、どこかのどなたかのちょっとした役に立てるかもしれない。そこで、ちょっと人と違ったところってなんだろうって考えています。
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